健康で生きる力をつける講座
2018年7月14日
人生の最後を家族で お祝いできる作法とは
ー体験発表ー
講師 たまごビル 院長
石垣ROB医療研究所 理事長
石垣 邦彦 先生
【たまごビル院長 石垣邦彦 先生】
今回は皆さん方に体験発表をしていただいて、人生で必ず訪れる死に対する準備をしていただきましょう。その中で一番大事なことはどういうことか、何をどうすればよいか、ということを体験発表の中から見出していただきたいと思います。
また、実際のご自分の介護予防に、そして介護に至った場合は、どういう風な心構え、あるいはどういう原理を応用して介護すればいいのか、あるいは必ず訪れる死について、どういう形で、どういう心の準備をすればいいのか、ということを、この講座の中で感じ取っていただき必ず訪れるご自分の死、あるいは身内の死について対応していただければと思います。

たまごビルの理念

皆さんご存知の通り、たまごビルでは『人は楽しむために生まれてきた』という大きな理念を持っております。それはどういうことかというと、生まれたこと自体が非常にありがたいことであるということです。もうこれ以上ありがたいことはないのではないか。その上でこの日本で食べられないで死んでしまうことはない。戦争で死んでいくこともない。
『人は楽しむために生まれてきた』という理念を自分の人生の中で実践していただきたいというのが私の願いです。
そのことを実現するための私の行動、たまごビルの行動、あるいは医療関係からの行動、各職業分野からの行動があります。
西日本での豪雨による犠牲者に対する黙祷
今回、西日本での豪雨による犠牲者に対する黙祷を捧げたいと思いますので、皆さんご起立いただきたいと思います。1分間の黙祷をして、本格的な講座を再開したいと思います。
≪黙祷≫
ありがとうございます。お座りください。
たまご理論
このたまごビルの理念『人は楽しむために生まれてきた』という理念です。
そのために、医療であれば、間違っていれば、違う方向で色々考えましょう、
介護でも、満足にできないことであれば、死の看取りでもそういうことでなければ、人生を楽しめるためにどう改善していこうか、ということを絶えず考えて系統立ててきたのが『たまご理論』です。
その本質は、体の仕組みを生かすということです。40億年の間に培ってきた、この体の仕組みを生かしさえすれば、生まれ、生きて、老化し、死に行くことがスムーズになります。介護することについても、死ぬことについても、苦しまずに、納得のいく死を迎えることができます。
たまごビルの死の看取り (故)稲田登志子さんのケース
そういうことを踏まえながら、今日はまず、稲田さんのケースからお話したいと思います。
この方は、東大阪市立総合病院から紹介されてきた患者さんです。腸閉塞を7回起こしておられました。7回も生きるか死ぬかという経験をされていたのです。
それに心筋梗塞も3回起こされました。冠状動脈にステントも入っていました。腰痛や変形性膝関節症もありました。ありとあらゆる病気があった方です。その方を内臓調整(ROB治療)させていただくと、見事に腸閉塞も起こさなくなりました。心筋梗塞も起こさなくなりました。
薬も飲む必要がなくなりました。
そういう方でしたが、老衰のために、死を迎えることになりました。1月20日にたまごビルの
スタッフに看取られながら、あの世に旅立たれました。大往生でした。今回見ていただく映像は、亡くなる前日1月19日のもので、園児達に最後の英語のレッスンをしています。
≪亡くなる前日、園児達に最後の英語のレッスンをする稲田さんのビデオを供覧≫

よかったですね。最後の言葉が園児達に元気をもらえましたということでした。この方は身寄りが全くなかったので、当院で看させてもらいました。それまでは東大阪に住んでおられたのですが、老衰で通うのが大変だということで、たまごビルの近くのマンションに引っ越しされました。
そして最後の2週間は当院で看させてもらいました。園児達も命を繋ぐ経験が出来たわけですね。
これは非常に大きなことです。現代の社会に一番足りない部分ではないか。
確かに、介護してもらう、病院で診てもらうことは素晴らしいことですが、何かが足りない。
命を繋ぐ体験がなくなっているということです。その体験がないと、わけがわからないから、不安やからということで、やはり人任せにしてしまう。人任せの連続が、もう病院に診てもらおうかということになります。
しかし、そこに一石を投じて、本来の命の繋ぎが必要ではないかと思います。そうするにはどうすればよいかは、この講座で一つ一つ見てもらいたいと思います。
自宅で死ぬことができない理由
自宅で死ぬことができない理由を皆さんに考えていただきたいと思います。
まずは送る側の理由をYさんはどう思いますか?
【Yさん】
父親は73歳ですが、全然考えたこともないです。
【たまごビル院長 石垣邦彦先生】
実際はそうなのでしょう。人間というのは、実際にお尻に火がついて、熱くなって、痛くなって、そして初めて考えるのだと思います。Sさん、あなたは考えたことはなかったですか?
【Sさん(妻)】
なかったです。テレビではよく見るのですが、自分とは遠いような話に感じていました。
【Sさん(夫)】
ありません。
【たまごビル院長 石垣邦彦先生】
Sさんのように脳梗塞も起こし、薬もたくさん飲んで、救急車で3回運ばれても、身に染みて感じとれない、受け取れないのが人間なのです。自分の死に目に合わないと考えられないのが人間なのです。
自宅で死ぬことができない、送る側の理由としては一般的にこのようなものがあります。

不安がいっぱいということなので、家で看るのはなあ・・・ということになります。
逝く側の場合は、以下のような理由があります。

ほとんどの方が看取りを経験したことがありません。したがって、不安が非常に大きいのです。不安があるから人任せになるのです。だから、できるだけ家での看取りをしていこうということです。それによって、子どもや孫に命の伝承をしていこうということなのです。
死に行く人の心・思い
死に行く人の心・思いというのは万人共通です。

そのために、最後の時間を家族で一緒に過ごしたいというのは、本音中の本音だと思います。家族がいると心強いから、安心して次の世界にいけるということなのですね。

たまごビルの死の看取り 上西紀博さんの体験談
本の朗読 増田美樹子さん
これは25年前の話ですが、『内臓調整による医療革命』のp212を見てください。『自宅で死を看取る幸せ』というタイトルがついている、あるおばあさんの話を増田さんに朗読していただきます。その後、そのおばあさんの義理の息子である上西さんに感想を述べていただきます。

【増田美樹子さんの朗読:『内臓調整による医療革命』p212-216】
孫、ひ孫を含めて家族16人に見守られ、自宅で安らかに眠るように亡くなられたおばあちゃんがおられます。娘さんたちが添い寝をして身体を温めてあげている時、旅立っていかれました。優しくほおずりする子、足をマッサージする子、家族の心が一つになって、「おばあちゃん、おばあちゃん」と言って泣きながら、やがて最期の時を迎えます。
私はいろんな死を看取ってきましたが、最高の顔で、心おきなく旅立たれたと感じました。その後は、淋しさや悲しさの中にも、家族で看取ることができた充実感と安堵感に包まれていました。
亡くなられてからは、まだ身体が温かく硬直を起こさないうちに家族みんなでおばあちゃんをお風呂に入れて身を清め、正装、薄化粧をして合掌させてあげました。これは副院長の助言とリードによるものでしたが、普通はなかなかここまでできないと思います。看取る側、看取られる側の心のケアも含めて治療させていただけたこと、また家族が一体となれたことでこのような結果が生まれました。
おばあちゃんは胆管ガンの末期で、手術の日程も決まっていましたが、手術が成功しても余命1年と診断されていました。娘さんご夫婦は私の所へ相談に来られていましたから、病気の内容と身体の状態を調べていくと、肝臓を半分以上摘出してもガン病巣を完全に切除することが難しいといわれている大手術でした。手術後はベッドで寝たきりということも予測できましたから、手術はやめて〈たまご療法〉での治療を受けながら余生を楽しく送った方がいいとアドバイスさせていただきました。
いろんな要素がからみ合って手術という決定がなされたわけですから、これを覆すのはたいへんなことです。私と副院長が病院の院長と担当医に会い、最後は「先生、もしあなたのお母さんだったらという思いで考えてみて下さい」とお願いしました。
その結果、頃合いを見計らって退院するということになり、自宅に戻られてからは私が内臓調整させていただいた結果、77歳の喜寿のお祝いをしてもらい、3度も旅行ができて、残された人生を楽しんでおられました。
退院後の最初の旅行は周囲も不安で、私と副院長にどうしても付き添って欲しいということでした。しかしその日は私にとって30年ぶりの中学校の同窓会が開かれる日で、とても楽しみにしていましたので、旅行はお断わりすることにしました。けれどもご家族は不安で不安でたまらなく、そのお気持ちがよく伝わってきましたので、30年ぶりの同窓会は欠席することになりました。
これはおばあちゃんにとって最高の宝物で、〈たまご理論〉の「人間は楽しむべき存在である」ということを身をもって実践されました。しかし、おばあちゃんの末期ガンは現実です。段々と調子をくずして入院することになりました。
病院でのおばあちゃんは、身体のあちこちにチューブを入れて点滴を受けていました。家族は「日増しに悪くなっていくようで」と心配し、おばあちゃんも自宅へ帰りたがっておられましたから、私は退院を勧めていました。自宅に戻ってからはすべてを私に任せたいと言われましたので、本人や家族の不安を取り除くこと、また総合病院と近くの医院、すべての良い所を取り入れてネットワークを作っていきました。
肺に水が溜まったら総合病院で水を抜いて楽にしてもらい、輸血にも応じられるよう協力体制を整え、近くの医院には毎日の往診を頼みました。私たちは家族に対して、これから死を迎えるまでどういう流れになっていくのかを説明し、対処の方法を指導しました。
人間というのは全体を把握できていませんと、何か症状が出てくると不安でいっぱいになります。胆管ガンの場合、胆汁が流れなくなって黄疸になり、食道静脈瘤が破裂することがありますが、担当医に確かめると患者さんには食道静脈瘤はないとのことでしたので、吐血の心配はまずないだろうという情報を家族にお話しました。たとえ出血しても総合病院に受け入れ体制を作ってあることなど一つ一つ不安材料を減らしていきました。
ガンの痛みは非常に強烈ですから、アスピリンのような弱い鎮痛剤から始まって、やがてモルヒネで痛みをコントロールしていきます。ところが次はこの副作用が出てきます。たとえば、眠りこけてしまうとか、理解力がなくなって意志の疎通ができなくなる、衰弱する、尿が出にくくなる、うわごとを言うといったことですが、どの程度この薬を飲むのか、どこでやめればいいのかという判断は家族にはできません。これで薬の役目は終わった、これ以上飲んだら死を早めるだけで心の交流ができなくなってしまう、という判断は私にまかせてもらい、内臓調整を強化させていただきました。足に浮腫がおきて丸太のようになっていますから、浮いた滲出液を心臓の方へ流してやるための中心性マッサージをして足を楽にしてあげます。
また、頭寒足熱の原理を応用して、頭を冷やしたり足を温めたり、家族みんなの力でできる限りのことをしました。そんな中で、おばあちゃんや家族の不安はだんだんと減っていき、気持ちが一つになっていきます。おばあちゃんが好きなイチジクを私の家の裏庭から採って持っていくと、娘さんはその果汁でおばあちゃんの唇を湿らせてあげました。
私はそれまでにも幾度となく、熟した新鮮なイチジクを昼の往診のときに持って行ってあげようと、朝採りに行くといつもヒヨドリにさらわれていたので、今度こそはと夜のうちに熟したものを採っておいたりもしました。
家族からは何度も早朝に電話がかかり、私はそのたびにかけつけましたが、全面的に私を信頼してくださったこと、アドバイスを真剣に聞いてくださったこと、ネットワーク作りができたこと、すべてがうまくいったお陰で良い看取りができたと思います。
おばあちゃんの死は、子供(娘さん)、孫、ひ孫と3代にわたって伝承され、この体験がいずれ必ず行かされるときがきます。自宅で死を看取ることができたという達成感、満足感は、今度この家族にとって大きな生きるパワーとなっていくことでしょう。私はそれを確信しています。

【たまごビル院長 石垣邦彦先生】
増田さんありがとうございました。では、この看取りの体験をされた上西さん、朗読を聞いてどうでしたか。

【上西紀博さん】
朗読していただいて改めて感動しました。大きな経験をさせていただいたことが一番です。
看取りをさせていただいたのは25年前、ここで体験発表をさせていただいたのは16年前ですが、やはり不安で、お医者さん任せでした。本当に勇気も要ります。主治医が変わるという不安もありました。
私自身も腰痛で長い間お世話になっていますが、院長・副院長には家族同様に診ていただいていることが、心の大きな支えになっています。
【たまごビル院長 石垣邦彦先生】
上西さんありがとうございました。
たまごビルの死の看取り (故)小谷静さんのケース
体験発表者 妻:小谷恵美子さん 娘:梶井裕香さん
次は、小谷さんのケースに移ります。この方も肝臓癌で、末期の状態で来られました。
末期の癌で来られ、動くことも食べることもできない状態で来られましたが、
内臓調整させていただくと元気になり、旅行もゴルフも行けて、食事もできるようになられました。仕事もできるようになりました。
しかしながら、末期の癌です。看取りの時が来ました。
娘である梶井さんが『内臓調整による医療革命』の先ほど増田さんが朗読された部分を、
父である小谷静さんに読み伝えました。それを聞いたお父さんは非常に安心しました。娘さんも家族の方々も非常に安心されました。『内臓調整による医療革命』で書かれていることが伝承されて、大きな一つの安心材料になったのです。これが皆さん一人一人に、家族や近所に伝えていただきたいことなのです。それでは小谷さんのビデオを見ていただきたいと思います。
≪小谷さんのビデオを供覧≫















よかったですね。娘さんが死を看取ることで自信が出来たと仰っていました。まさにそうなのですね。小谷さん、それはどういう角度からでてきたのでしょうか。角張っていた娘さんが丸くなったという話がありましたけれども・・・

【小谷恵美子さん】
そうですね。看病するまでは私が何を言っても頭ごなしに「自分で何でもしていかないと。親ばっかり子どもを頼りにしていたらあかん」と言っていましたが、看病するようになってからは、角が取れて丸くなってもっと優しくなりました。何を言っても「わかった。わかった。」と言って、してくれるようになりました。今、ものすごく喜んでいます。
【たまごビル院長 石垣邦彦先生】
よかったですね。孫さんが添い寝してくれたり、いろいろなことをしてくれていました。

副院長から逝く人の心のことを話していただいたそうですが、そのあたりのことをお願いします。
【小谷恵美子さん】
そうですね。毎日添い寝して、傍におってやらなあかんよと仰っていただいたので、
それからは一人にしたことはありません。本人も安心していたと思います。
【たまごビル副院長 石垣富久子先生】
トイレに行くときも離れたらあかんよと指導しましたね。死んで逝く人は寂しいのです。死に行く人は、畳の上で、つまり自宅で死にたいと考えているのです。
【たまごビル院長 石垣邦彦先生】
よかったですね。生まれてすぐ保育器に入り、腸重積を繰り返し、体の弱かった娘を心配していた小谷静さんは、常に娘の写真を携えていたようですね。

娘の角張ったところも、心配していたのでしょうね。だから、体もたまごで診てもらえるし、心配事の指導もしてもらえるし、心配することはない、心残りはないという状態になったというところでしょうかね。小谷さんありがとうございました。
たまごビルの介護 石西正男さんのケース
体験発表者 娘:山本恭子さん
次は介護の話題にいきます。山本恭子さんにお父さんのことについてお話していただきます。
【山本恭子さん】
口下手なので、原稿を読ませていただきます。私の父は、脳梗塞で倒れ、半身不随になりました。それまでは暴飲暴食の毎日で、アルコールもたくさん飲んでいました。倒れてからは、言葉を話せなくなり、麻痺側は全く動かせない状態でした。そんな時、石垣先生にご縁をいただき、診ていただくことになりました。みるみる元気になり、自分で歩いてベッドに入れるようにしていただきました。しかし、通院を途中でお休みしてしまっているときに、また再発し、2度目の脳梗塞を起こしてしまいました。

そして、また石垣先生にお世話になりました。動かなくなった麻痺側を動くようにしていただき、言葉がはっきり言えるようにしていただきました。

喜んでいるのも束の間、たまごの帰りに食事をとっている時に、ごはんで喉を詰まらせました。

気づいた時には石垣先生に電話をかけていました。その時は動転して、何を話したのか覚えていませんが、かなこ先生がすぐに駆け付けてくださり、心肺蘇生で意識が回復しました。

その後、和彦ドクターも同乗してくださり、病院へ救急車で搬送されました。
お陰様で命を取り留めましたが、病院では誤嚥性肺炎予防のため、胃ろうを開始することになりました。口からはお茶も飲めず、栄養物は全て胃から入れるだけでした。

おしっこも出なくなり、おしっこの管も入れた状態で退院となりました。
介護している私は、辛くてたまりませんでした。

しかし、初心に戻り、石垣先生にお世話になりました。内臓調整をしていただき、嚥下訓練を毎日指導していただきました。お陰で今は胃ろうをやめさせていただき、貴彦ドクターにもおしっこの管を取れるようにしていただき、トイレも一人で行けるようになりました。胃ろうや導尿をしているときは人間とは思えませんでした。

大きな反省として元気にしていただき油断したこと、また米粒くらいと思っていましたが、命取りになることを身に染みて実感しました。あのまま先生にご縁がなければ、もう死んでいるか、病院や施設で寝たきりの状態のまま、寿命を待つだけだったと思います。今では、休みの日には、私の息子とお弁当を持って公園に行ったり、保育園の参観に参加できたり、普通の生活をさせていただいています。本当にありがとうございました。予防と毎日の積み重ねが大事です。

【たまごビル院長 石垣邦彦先生】
ありがとうございました。今、仰った通りで、内臓調整で胃ろうを全くなくして、おしっこも自分で行けるようになりました。胃ろうをやめて、食べられるようになると、豊かな表情が出てくるようになります。嬉しいという表情が出ていました。要介護度も5から4になりました。これが介護の本質ではないかと思います。『人は楽しむために生まれてきた』というのを実行するにつけて、要介護度5であれば寝たきりですよね。寝たきりで管をつけられているよりも、自分で食べられて、自分で排泄できる方がいいですよね。介護の本質は、介護度を下げて、介護されている人に人生の楽しみを味わっていただくことだと思います。だから、介護度を下げられるぐらいに患者さんを元気にさせていただいたら、介護料金が上がるように、収入が増えるようにしてあげないといけないと思います。その辺の逆転の発想をしていく必要があると思います。
こういう状態では、病院に行っても、あまり治療できることはありません

皆さん病院にいれば助けてくれるはずと思っていますが、こういう状態になって病院にいってもあまり治療できることはありません。命を取り留めることがあっても、生きている質を上げるのは非常に難しいと思います。
たまごビルの介護 山田 愼一さんの体験談
次は、介護予防と老々介護の問題ですが、これは非常に切実な問題です。高齢化に伴い、老々介護が増加し、介護殺人が社会問題になっています。

これに関して、山田さんに体験談を発表していただこうと思います。
山田さんの奥さんは薬を飲んでおられましたが、お年寄りの転倒の原因の6~7割は、薬の副作用です。薬の副作用で転倒して、認知症になったり、寝たきりになったりするケースが非常に多いのです。
山田さんご夫妻も何種類もの薬を飲んでおられましたが、内臓調整をすることによって元気になり、薬を飲む必要がなくなりました。薬の副作用を除去できました。医療費の1/3が薬です。50兆円の医療費の中で、13兆円ほどは減らすことができるのです。薬害も防ぐことができるのです。しかも日常生活を元気にすることができるのです。
山田さんの奥さんの場合も、薬を飲んでおられ、転倒し、足腰も弱りました。あちこちに痛みも出て、認知症も進みましたね。あちこち病院に行かれました?

【山田愼一さん】
そうですね。行く度に薬が増えました。薬もきつくなっていきました。「痛い痛い」の連続で、目が覚めて朝起きたら「痛い痛い」、寝るまで「痛い痛い」だったのです。痛いと言う度に、その言葉が僕の心臓に突き刺さるような感じがしました。認知症にも苦しみ、段々と僕自身が苦しくなっていきました。

私自身が8月で78歳になります。心臓が悪いからペースメーカーも入れています。僕自身の体もやられていき、急に熱が出て倒れてしまいました。2~3ヵ月おきに倒れてしまいました。最後の倒れた時に、私自身が失禁してしまったことがありました。下手したら女房だけでなく、自分自身も介護してもらわないといけなくなると感じました。自分も次いつ倒れてしまうのかというのが常に頭の中にありました。

次に考えることといったら、子どもらに自分や女房の介護を頼むことはできないということです。あとは、女房を殺して自分も死ぬということを考えないといけなくなるような状態にまでなりました。次に倒れたときにはそれを考えようと。自分の命日まで決めていて、結婚記念日に女房を殺して、自分も死のうと考えていました。段々とそこに追い詰められていき、それしか考えられなくなりました。

老人施設の運転手を8年間くらいしていました。その時、私は老人をそんな邪見にせず、もう少し優しくしてやったらどうかなという考えを持っていました。しかし、自分が妻の介護をするようになると、そんなことはとてもじゃないけど考えられません。自分勝手な考えしか出てきませんでした。ところが、8月21日に病院の紹介で石垣先生のところにお世話になってから劇的に変わりました。

杖をついて抱えるような状態で治療に向かったのに、初回の治療後は、杖を引きずって歩いて出てきました。あれには驚きました。帰ってからは痛いと言いませんでした。治療に来るまではずっと痛いと言っていました。痛いと言わなかったので、僕は楽でした。女房の薬は段階的にほとんどやめられましたし、僕は全部の薬をやめられました。

僕の場合も、治療を受けると、高熱が出なくなりました。もう1年出ていません。お酒を飲まなくても寝むれるようになりました。介護で疲れているので、とにかく早く寝たかったのです。今は心身ともに楽になりました。
【たまごビル院長 石垣邦彦先生】
ここからがさらに劇的ですね。生きる力がみなぎってきたのですね。
【山田愼一さん】
本当に元気にしていただきました。
そこで今年は七夕の笹を一人で取りに行きました。今まで笹薮に一人で行ったことはありませんでした。自信がついてきたのだと思います。元気にしてもらったからできたのです。子どもさんが喜んでくれたら、恩返しができたという気持ちになります。

【たまごビル院長 石垣邦彦先生】
体を元気にしてもらったら、どうやって人の役に立とうと考えるのが大事ですね。高齢者は人生の船長です。高齢者を頑張れと言いたいです。高齢者の皆さんに何らかの形で貢献していただきたいと思います。
それから、山田さんと話 をしているときに、園児達がやってきました。ご覧ください。
≪園児達が笹のお礼を山田愼一さんに言った時のビデオを供覧≫

山田さんありがとうございました。
たまご保育園 園児の心得

この園児の心得を毎日保育園で唱和していま す。これを聞くと意欲が湧いてきますね。これは、『たまご保育園の園児である私たちは』と表現していますが、『日本国民の一員である、高齢者である私たちは』ということで、『高齢者である私たちは自らの体と心を整え、家庭・地域・日本・地球への貢献をしていきます』というような形で、高齢者の方々もそういう思いで持っていただけたら、非常にありがたいなと思います。

そして山田さんのように、体を楽にさせていただくと、前向きな気持ちが出てくるのですね。
内臓調整で体の仕組みがスムーズに動く状態をつくると、死の間際も痛みがないのです。
看取る側も元気にしていただくと、小谷さんのように通常の生活をしながら看取りができました。介護する側も、山田さんのように、疲れていたら絞め殺すことしか考えていなかったのが、
奥さんが内臓調整を受けて、元気になる、痛い痛いと言わなくなる、ご自分もペースメーカーが入っている状態でも、内臓調整で元気にしていただくと、体の仕組みがスムーズに動く状態ができると、余裕ができます。
介護は大変ですけれども、きちんとその目的を実行できます。
だから、一番の問題、言いたいことは、仕事をするにつけても、介護のプロフェッショナルの方々も、看護の方々も、医師の方々も、あるいは教職についている方々も、銀行員の方々も、弁護士さんも、その他諸々の職業の方々も、自分の体を整えることによって、非常に素晴らしい仕事・家庭を持つことができるということを今日の結論としてお話したいと思います。
山田さんのように、自分の体がにっちもさっちもいかなくなって、介護されるような状態になっても、内臓調整で調整させていただくと、前向きになって、笹も取りにいってくれて、人の役に立つことができるようになります。
これはまさに介護予防です。
奥さんの介護も素晴らしいものができるようになりました。
死の看取りについても、素晴らしい死の看取りができて、今後の生活にも自信がついて、本当にいい人生の財産ができるということなのです。
ROB治療(内臓調整)によって介護予防ができ、手厚い介護がなりたち、穏やかな死を迎え
看取ることができます。
ポイントは、ROB治療(内臓調整)で体を整える、これに尽きてきます。
今日は皆さん方にその事実を伝えたいと思います。
ありがとうございました。