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健康で生きる力をつける講座
2018年9月8日

​「健康な加齢」と予防の大切さ

​-105歳の日野原重明先生を看取って-

​聖路加国際病院院長

​福井 次矢 先生

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【泉大津市立病院 検査・病理センター長 四方 伸明 先生】

 

本日は聖路加国際病院の院長である福井次矢先生にお越しいただきました。先生の御略歴を申し上げますと、1976年に京都大学医学部を卒業された後、聖路加国際病院で4年程研修をされました。その後、日野原先生のお勧めもあり、アメリカに留学されました。コロンビア大学、それからハーバード大学の公衆衛生の大学院を修了されました。その後、日本に戻られた後、九州の佐賀医科大学附属病院総合医療診療部の助教授、そして教授と進まれました。

 

実はその時、私と縁がありまして、私は関西医科大学にいたのですが、毎夏、学生達の教育・トレーニングを行なうワークショップ形式のプログラムがあり、その時、当時佐賀医科大学の教授でおられた福井先生に来ていただきました。

 

その後、福井先生は京都大学の総合診療部の教授に着任され、10年間過ごされた後、2005年から聖路加国際病院の病院長、理事長そして大学の学長を務められ、聖路加国際病院で活躍されています。

 

それで関西医科大学の中で、その20年程経ったときに、私は60歳前だったのですが、ちょうど順番で専門医指導医講習に出るように言われまして、もういい年なのにと思いながら、若い先生達と一緒に関西医科大学のプログラムに出まして、その時にも福井先生に来ていただきました。

 

福井先生は毎年秋のその合宿に来られていました。そこへ、この石垣院長から「ぜひ福井先生にお話がしたい。四方先生、何かご存知ないですか?」と言われ、10月になればまた関西医大に来られるかもしれないと思い、当時の総務課長に連絡したところ、福井先生が来られるということでしたので、ぶしつけではありましたが、お願いした次第です。なぜ石垣院長が福井先生にお話がしたいと思われたのかは、直接石垣院長にお話していただこうと思います。

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【たまごビル院長 石垣 邦彦 先生】

では、その馴れ初めをお話させていただきます。現代医学の素晴らしさをどう生かすか、あるいは現代医学が陥っている問題点をどう解決するかという話の中で、思っていたことからなのです。実際は、もっと大きなことをお話させてもらいますと、『人は楽しむために生まれてきた』という理念をたまごビルは持っています。それはどういうことかといいますと、宇宙の創造から、地球の生成、生き物が生まれ、人類が生まれてきたことを俯瞰してみると、人間というのは恵まれた存在だなと、ありがたいと、今奇跡的にある存在だなと感じ取ってきたわけです。それで、どう生きるべきかということになってきますと、苦しいことのほうが多い社会ですが、恵まれた存在であるということから捉えますと、やっぱり人は楽しむために生まれてきたのではないかという結論に達しました。そうすると、『人は楽しむために生まれてきた社会』をつくろうと、私どもは末筆ながら、医療の分野から出発しておりまして、医療の分野から『人は楽しむために生まれてきた社会』をつくり、貢献させていただこうではないかということになりました。

 

そうすると、病気を治すということは非常に素晴らしいことです。しかし、もっと人が楽しむためには予防しようではないかと、さらに、予防は素晴らしいが、もっともっとということになると、元気な子どもを育てようではないかということになりまして、それでは保育園をさせていただこうではないかということになりました。そうこうしているうちに、ずっと温めてきたのですが、生まれて、生きて、成長して、子育てをして、老化して、死に行くことについて、これらがうまく運ぶ原理原則のようなものがないのかなと思っていると、あるのですね。体の仕組みがスムーズに動く状態を作ってやると、生まれて、生きて、老化して、死に行くことがうまく行く道があることがわかりました。そのきっかけを作ってくれたお一人が福井次矢先生なのです。

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そのきっかけが、平成17年11月号の科学雑誌『ニュートン』で、ある記者が福井先生にこういう質問を投げかけたのです。「分子生物学が全盛の21世紀において、科学で何でもわかりそうな今の時代に、なぜ医学的な信用度のグレードが高いランダム化比較試験というデータに基づいて、ガイドラインが作られているか」と。これに対して、福井先生は端的に仰ったのです。これを聞いて、私はすごい人だなと、目から鱗の話でした。「なぜ疫学的なデータが医学的なEBMの第一位になるのかというと、端的に言うと人の全体像がわかっていないことにつきると思います。とりまく環境と人体の複雑さゆえに、ある要素が変化したときに、人間の体にどのような変化がおきるのかを特定できない。そのため、医学において検査や治療の効果を判定するときには原因と結果の間にあることを全部ブラックボックスにして、統計学的手法を用いる以外に選択肢がありません。」と、こう仰ったのです。これはすごいことを仰る方だと思ったのです。そこで、私は全体像をつかむにはどうしたらよいか、2番目はある要素、例えば台風が来たとか悩み事があるとか、あるいは嫁さんに怒られたというときに、体にどのような変化が起こるのかということを特定できるようにしないといけないなと思ったのです。そうすると、原因と結果の間にあることをきちっと把握できるし、把握することによって経過を明らかにすることができ、その時点で対応できるのではないかということで、平成18年1月1日号より、そこにおられる河内新聞に連載をすることになりまして、先月号で139回目となりました。1面を使わせていただいて、ずっと疑問点を掘り起こしていきました。そうすることで出てきた一つの回答が、上腹部、みぞおち部分の柔らかさを基準にすれば、全体像と人間の体における変化、経過をはかることができるのではないかということです。

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それを臨床に応用していき、また現代医学的な検査・診断法とも絡ませて、もちろん東洋医学的な診断法とも絡ませていくと、非常にはっきりとしたものが出てきました。上腹部が柔らかい状態では、呼吸も、循環も、自律神経も、人体力学も、内臓全体の動きもスムーズです。そうすると元気に生きられます。保育園の0歳児を見ていても、上腹部が柔らかい子どもは元気です。上腹部が膨満して硬い子どもは非常に発育が悪い。上腹部が柔らかい状態を作ってやると、非常に生き生きと生活できるようになります。予防ができる、的確な治療・ケアーができます。そうすると現代医学との兼ね合いをしながら、現代医学の素晴らしさを活かしつつ、体の仕組みも活かしつつというところで穏やかな死を迎えることができます。

 

7/14には介護予防というテーマで、そこにおられる山田さんのお話を聞いたり、死の看取りのお話を聞いたりしましたが、皆痛みなく過ごすことができます。そういう意味で現代医学の素晴らしさを活かし、現代医学が陥っている穴を解決するきっかけを作ってくださったのが福井次矢先生です。私との馴れ初めはそういうことです。

 

それでは、福井次矢先生、よろしくお願いします。

【聖路加国際病院院長 福井 次矢 先生】

ご紹介いただきました福井です。よろしくお願いいたします。私の話は4つの部分に分かれます。最後に面白い研究を一つだけ紹介させていただきたいと思っておりまして、社会とのつながりというのは、どういう側面で、何をもって社会とのつながりというのかは色々とありますけれども、興味深いと思いましたのは、患者さんを2つのグループに分けまして、同じお金を自分のために使う人達とそのお金を他の人のために使う人達に分けると、元々あった高血圧のレベルが、なんと人のために使うグループで明らかに低下したという研究がございまして、社会とのつながりの一つの側面で興味深い研究だと思いまして、最後の方でそういうお話をさせていただきたいと思います。

福井 次矢
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1.日野原先生の短い「晩年」

最初は105歳まで生きられた日野原先生がどのような生活と言動をされ、傍にいる我々がどのようなことを学んできたかをお話したいと思います。先生はものすごくたくさんの本を書かれていますので、読まれた方もいらっしゃるのではないかと思いますが、先生はこういう方です。

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先生は、1911年に山口県でお生まれになり、1941年の戦争が始まる3ヶ月前に京都から東京に移られて、そこからずっと聖路加国際病院で仕事をされました。途中で文化功労者、文化勲章を受章されて、昨年の4月18日に亡くなりました。

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普通の血管を輪切りにしますと、中に血液が流れていますが、動脈硬化が進みますと、壁がこのように厚くなって、壁の中に脂分みたいなものが溜まって、血液の流れるところがこんなに狭くなって、最後は詰まって、どの血管が詰まるかによって心筋梗塞になったり脳卒中になったりするわけです。

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こういう変化が起こると、画像診断で見てみると、このような大動脈では異常に膨らんでいたり、ギザギザになっていたりします。これは、壁が弱くなっているとこぶのように膨れてきて、最後は破れて、大出血するということです。血管が弱くなると、詰まる場合と破れる場合があるんです。こういうふうな変化が起こってきます。胸の方の血管では、動脈硬化が進むと、ギザギザになってこういう変化が起こって、血液がいかなくなって、痛みが出たり、動かなくなったりします。ところが日野原先生は100歳になっても、脳も首の血管も非常にスムーズできれいでした。

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動脈硬化性変化が心臓で起きますと、これは83歳の女性ですが、冠状動脈の血管が非常に細くギザギザになります。

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これは日野原先生が98歳のときの心臓の血管ですが、一部が細くなっている以外は、太くきれいな血管をしています。

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もう一つは脳の変化でして、これは90歳の方の脳のMRI検査の画像です。このように白くなっている部分はあまり血液がいっていません。

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ところが、日野原先生は98歳のときに検査をしても、ほとんど白っぽいところがありません。いかに動脈硬化の進み具合が他の多くの方と比べて遅いかがわかります。

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先生はこのような若々しい状態を保っておられたわけですが、私が14年前に京都から東京に戻って、そこからの10年間の間にこのような細かい病気はされています。例えば、鼠径ヘルニアの手術は2回されていますが、手術の翌日には講演に出かけておられました。自分が動けるようになるとすぐに病院の外で仕事をしてこられました。1日でも早く退院したいと仰っておられました。

 

心房細動、不整脈のときのエピソードは非常に印象的で、先生はスポーツをテレビでご覧になるのが好きで、女子サッカーの国際試合を見てすごく興奮して、血圧が上がって、一時的に不整脈になってしまいました。病院に来られて、心房細動という非常に不整で心臓が早く打つ不整脈になっていて、電気ショックをかけたところすぐによくなりました。

 

このようなことを何回か繰り返して、最後亡くなる本当に半年前、2016年のお正月頃までは本当に普通の生活をされていて、その後全身のいろいろな臓器の働きが徐々に低下していきました。飲み込みもうまくできなくなって、鼻や口から管を入れて栄養を補給することで延命をすることができるのですが、先生は最後まで明確に管を介した栄養補給は希望されませんでした。最後は本当に静かに亡くなられました。先生はこのような人生を送られました。

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